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ムハンマド vs マホメット

エドワード・ギボン(中野好夫訳)『ローマ帝国衰亡史Ⅰ』(筑摩書房、1976)の「訳者例言」にこんなことがかいてある。

 一、人名、地名を問わず固有名詞のカナ表記には少なからず閉口した。とりわけ地名には古代での呼称と現代のそれとが当然変っており、いずれを採るかには当惑した。原則を立てることは結局不可能だった。したがって、当然矛盾はある。だが、大体において知名度の低いものは古代呼称をとり、あまりにも周知のものには現代呼称をもってした。たとえばドナウ河をダヌウィウス、ライン河をレーヌスでは、いたずらに一般読者諸氏を惑わすだけだから、ドナウ、ラインを採用。そのくせスペインはヒスパニア、タイバー河はティベリスとしているのだから、矛盾は矛盾である。(実はまだドナウかダニューブか、タイバーかテベレかにもずいぶん迷った。)が、結局は思い切って便宜主義に従うことにした次第。
 一、同じくギリシア語名、ラテン語名のカナ表記にも困った。が、これもやはり便宜主義をとり、長母音などはほとんどすべて短くすることにした。どだい原音の忠実正確なカナ表記など、最初から無理に決まっているからである。実はこの問題ではギボン自身もやはり苦しんだらしく、全巻完成時の序文のあとに附記として、この問題に触れている。たとえばいくら預言者ムハンメッドが正しいとはわかっていても、こうまでマホメットが流布化してしまった今日では用いざるをえぬ。またアレッポ、ダマスクス、カイロなどの地名を、いまさら Haleb, Demashk, Al Cahira 等々、正綴にしてみたところで、かえって読者にとっては行方不明の都市になってしまう惧れもあるからだと歎じている。よくわかる。同感にたえぬ。

「ドナウかダニューブか、タイバーかテベレかにもずいぶん迷った」っていうのは時代を感じさせるっていうか、とにかくいまは「ダニューブ」だとか「タイバー」なんていう英語の名まえはつかわないだろうから、これについてはまようことはないとおもう。

ドナウ、ラインはむかしもいまもある川だから、いまの名まえをつかうのはべつにおかしくないし、スペインって国は当時はなかったんだから、地域の名まえとしてヒスパニアにするのもおかしくない。この点をとくに問題にしなくてもいいとおもう。

ギリシャ語・ラテン語についてはなん度もかいてるけど(ギリシャ語・ラテン語のながい母音のあつかい」)、「どだい原音の忠実正確なカナ表記など、最初から無理に決まっている」なんていったらなんでもよくなっちゃう。でも日本語で区別があるものは区別したっておかしくないだろう。それをわざわざ区別しないなんて。

ところで、これは最初にでた単行本のときものだけど、ちくま学芸文庫(1995)にはいったときの「元版訳者例言」は、「元版」っていってるのに ほんのちょこっとちがってて、単行本の「たとえばいくら預言者ムハンメッドが正しいとはわかっていても、こうまでマホメットが流布化してしまった今日では用いざるをえぬ」っていうとこが、文庫のほうだと「たとえばいくら預言者ムハンマドが正しいとはわかっていても、こうまでマホメットが流布化してしまった今日では用いざるをえぬ」になってる。つまり「ムハンメッド」が「ムハンマド」にかわってる。

ここにかいてあるみたいに「マホメット」っていうのは かえようがないっておもってるひとはおおかっただろう。でも、いまは「ムハンマド」になった。教科書もそうなってるみたいだし、ニュースとかでもそういってる。だから、いくら「流布化」してても、そのうちどうなるかなんてわからない。「アレッポ、ダマスクス、カイロ」だってそうだろう。

とはいっても「ムハンメッド」とか「モハメッド」っていうのはそうわるくないかもしれない(「マホメット」はよくないとおもうけど)。アラビア語の محمد Muammad の発音は「ムハンメド」とか「モハンメド」にちかいともいえる。

方言はべつとしてアラビア語の母音は a ā i ī u ū しかない。でも実際の発音をきくと「エ」とか「オ」にきこえる母音もでてくる。簡単にいうと、日本語の感覚で「エ」にきこえる母音はアラビア語だと a の一種で、「オ」にきこえる母音は u の一種だってことになる。前後の子音の影響で実際の発音がちがってくる。でもローマ字がきとしてはどのばあいも a とか u ってかかれるし、アラビア語の母音記号でもそうだし、アラビア語の母音の組織としてもそういうことになってる。

だから、きこえたとおりにカタカナにすれば「ムハンメド」とか「モハンメド」とか「モハンマド」なんていうのもかんがえられるけど、発音にはある程度のはばがあるから、どれかひとつにはきめにくいし、母音の組織からしても母音記号からしてもローマ字からしても「ムハンマド」のほうがはなしは簡単だろう。

ところで、「訳者例言」には「実はこの問題ではギボン自身もやはり苦しんだらしく、全巻完成時の序文のあとに附記として、この問題に触れている」ってかいてあるけど、単行本だと著者の序文のこの部分は省略されてる。文庫のほうにはこの部分の訳があるから、つぎに引用しておこう(表示の関係で二の字点は同の字点にかえた)。

外国語特に東洋起源の固有名詞については、我らの母国語たる英語によるその原語の忠実な転写を心懸けることがわれわれの不断の意図であろう。しかし一貫性と真実に依拠するこの通則も屢々弛められねばならず、そして言語の慣習と翻訳者の趣味に応じてこれらの例外が或いは制限され、或いは拡大されよう。われわれのアルファベットは屢々表現不十分な場合があるし、荒々しい発声や無骨な綴字は我が国民の耳障りで目障りな種にもなろう。それ故にこの上なく崩れた形のいくつかの言葉が、現に日常語の中に固定され、いわば市民権を得ている。預言者ムハンマドはもはや不正確だが周知のマホメットなる呼称を奪われる余地がなく、またアレッポ、ダマスカス、カイロなどの馴染深い諸都市は今さらハレブ、デマシク、アル・カヒラなどの奇妙な表記ではほとんど正体不明になろう。同様にオスマントルコ帝国の称号や官職もすでに三百年の慣行によって定着しているし、さらに言えばわれわれはシナ語の単綴三つ Con-fû-tzee を一語に合成して聖人 Confucious なる表記を作り上げ、マンダリンなるポルトガル訛りの単語さえ喜んで採用している。だが私は情報源がギリシアかペルシアかに応じてゾロアスターとザラトゥストラを使い分けたく思うし、また我々がインドと接触して以後はこれまでのタメルランなる王座へ真のティムールが復位するに至った。我が国の最も厳密な著作家たちさえアル・コーランの余計な定冠詞を省略して用いてきたし、イスラム教徒(ムスリム)に代えて複数形のモスレムを採用して不分明な語尾から逃げている。これらの場合に限らず無数の同様な事例での区別の極め手は屢々些細に過ぎようが、私は自分の選択の理由がうまく説明できなくともその感触を確かに味わうことができる。
(『ローマ帝国衰亡史1』ちくま学芸文庫、「四折本第四巻の序文」の「後書」)

「シナ語の単綴三つ Con-fû-tzee を一語に合成して聖人 Confucious なる表記を作り上げ」ってとこがあるけど、Con-fû-tzee は「孔夫子」つまり孔子のことで、ここから Confucius っていうラテン語の語尾をつけたかたちができた。マテオ・リッチがこのかたちでヨーロッパにつたえたらしい。英語で孔子のことは Confucius [kənˈfjuːʃəs カンフューシャス]っていってる。英語によくある -ious っていう語尾になってる Confucious っていうつづりはもともとはまちがいなんだとおもうけど、これもつかわれてるみたいだ。こっちのほうが英語っぽい感じがするのかな。

ちなみに Confucius はラテン語としてはイタリア式なら[コンフーチウス]、ドイツ式なら[コンフーツィウス]って発音する。フランス語はこのまんまのつづりで[コンフュスィユス](i は半母音)。ドイツ語は19世紀まではこのつづりだったけど、いまは Konfuzius で、発音はドイツ式ラテン語とおんなじ。イタリア語は Confucio [コンフーチョ]になってる。

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2011.08.05 kakikomi

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