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機械じかけの神 deus ex machina

ラテン語の deus ex machina [デウス エクス マーキナー]としてしられてて、「機械じかけの神」って訳されてるこのことばは、劇とか小説とかにつかわれる不自然で強引な急場しのぎの解決策のことをいうけど、ラテン語そのものの意味としてはそのまんま訳せば「機械装置から(あらわれる)神」ってことになるだろう。古代ギリシャの演劇で、ある種の舞台装置をつかって神が登場して はなしの結末をつけるっていうやりかたがあったから、こういういいまわしができた。

英語版ウィキペディアの「Deus ex machina」の項目には “The Latin phrase deus ex machina comes to English usage from Horace's Ars Poetica” ってかいてある。でもホラーティウスの『詩論』に「機械じかけの神」のことはでてくるけど、deus ex machina っていうことばそのものはでてこない。このいいまわしは古代ローマの古典にあるんじゃなくて、近世になってギリシャ語からラテン語に訳されたものらしい。

いちばんふるい出典はフィチーノが訳したプラトーンの『クレイトポーン』(407a)だって説明してる本がある。でもこれは deus ex machina そのものの出典としてはちがうんじゃないかな。“Divini Platonis opera omnia Marsilio Ficino interprete.” (Lyons, 1588)をみてみると、その翻訳文は «veluti è machina tragica Deus» [ウェルティー エー マーキナー トラギカー デウス]だ(ギリシャ語原文は «ὥσπερ ἐπὶ μηχανῆς τραγικῆς θεός» [hɔ̌ːsper epí mɛːkʰanɛ̂ːs traɡikɛ̂ːs tʰeós ホースペル エピ メーカネース トラギケース テオス]「悲劇の舞台装置にのった神のように」)。ステファヌス版のラテン語訳でも «veluti è machina tragica Deus» になってる(むかしはこういうふうにアクセント記号をつけることもあった)。ここから余計なことばをとっても e machina Deus だから、語順もちがえば前置詞もちがう。ただし前置詞がちがうっていっても ex と e は「~から」って意味のおんなじ前置詞で、母音のまえだとかならず ex で、子音のまえでも ex のほうがおおい。それにしても、とにかく ex じゃなくて e だ。ちなみに、このラテン語訳は、悲劇の舞台のことをしらなくて訳してるから問題があるって指摘されてるし、たしかに原文とはちょっとちがっちゃってる。

『ギリシア・ラテン引用語辞典』(岩波書店)には、deus ex machina のほかに、おんなじ意味の e machina deus がのってる(ラテン語としては ex machina deus、deus e machina っていう語順もありえる)。エラスムスの『格言集』(Adagia I, 1, 68)には «deus ex improviso apparens» [デウス エクス インプローウィーソー アッパーレ(ー)ンス](おもいがけず登場する神)っていうのがある。にたようなのはほかにもあるみたいだけど、deus ex machina そのものの出典はどうもはっきりしない。

machina の古典式発音は[マーキナー]で、アクセントはマーにある。machina [マーキナ](機械、道具)の単数奪格だ。でも、ときどき「デウス・エクス・マキーナ」っていうのをみかける。「マキーナ」だとキーにアクセントがあるみたいだけど、なんでこういうまちがいがおこったんだろ。deus ex machina の英語式発音で machina は[ˈmɑːkɪnə, ˈmɑːkɪnɑː, ˈmækɪnə]だから、アクセントは1音節めにあるし -i- はながくない。このことからすると英語よみの影響ってわけじゃないとおもうけど、英語の machine なら[məˈʃiːn マシーン]だから、これの影響なのかもしれない。そういえば machina の発音として[məˈʃiːnə]っていうのをあげてる英和辞典もあって、これは英語の machine にひきずられた発音だとおもう。[ˈmækɪnə]がもともとの英語よみで、[ˈmɑːkɪnə]は古典式発音にちかいよみかた、[ˈmɑːkɪnɑː]はさらに古典式にあわせた発音だっていえる。むかしながらの英語よみにしても、最近の古典式ふうの発音にしても、もともとのアクセントの位置は本来はかわりはない。

で、もとになったギリシャ語のいいまわしはいくつかある。

ἀπὸ μηχανῆς θεός
[apó mɛːkʰanɛ̂ːs tʰeós アポ メーカネース テオス]

θεὸς ἀπὸ μηχανῆς
[tʰeós apó mɛːkʰanɛ̂ːs テオス アポ メーカネース]

ἐκ μηχανῆς θεός
[eŋmɛːkʰanɛ̂ːs tʰeós エク゚・メーカネース テオス]

θεὸς ἐκ μηχανῆς
[tʰeós eŋmɛːkʰanɛ̂ːs テオス エク゚・メーカネース]

古典にでてくる実際の文章としては θεός が対格だったり複数だったりするのもあるし、ほかの単語が途中にはいってることもあるけど、とりあえず整理すればこんなとこだろう。前置詞の ἀπό は「~から(はなれて)」、ἐκ は「~から(そとに)」っていう意味だから、「舞台装置から登場する神」って訳せるけど、この前置詞を手段・方法の意味にとるなら「機械じかけで登場する神」とも訳せるとおもうし、そのほうがいいんじゃないかとおもう。ある種の装置にのったまんま空中にういてる感じで登場したらしいから、「機械から」「舞台装置から」っていうのとはちがうだろう。『クレイトポーン』だとはっきり「舞台装置のうえに、舞台装置にのって」(ἐπὶ μηχανῆς)っていってる。

このことばは きまり文句になってて、10世紀の『スーダ辞典』に Θεὸς ἀπὸ μηχανῆς っていう みだし語がある。っていっても、この項目をみると、Ἀπὸ μηχανῆς をみよ、ってなってて、説明は Ἀπὸ μηχανῆς っていう みだし語のほうにある。このことからもわかるように θεός (神)をはぶいた ἀπὸ μηχανῆς だけでもつかわれた。たとえばデーモステネースに «ὥσπερ ἀπὸ μηχανῆς» [hɔ̌ːsper apó mɛːkʰanɛ̂ːs ホースペル アポ メーカネース]「機械じかけの(神の)ように」(40.59)っていう用例がある。

deus ex machina はいまじゃわるい意味につかわれてるけど、もともとはそうじゃなかった。『クレイトポーン』にしてもデーモステネースにしても、わるい意味でつかってるわけじゃないし、『クレイトポーン』のスコリア(古注)をみても、それがわかる。そのスコリアにはメナンドロスからの «ἀπὸ μηχανῆς θεὸς ἐπεφάνης.» [apó mɛːkʰanɛ̂ːs tʰeós epepʰánɛːs アポ メーカネース テオス エペパネース]っていう引用があって、おもいがけず たすけにあらわれたひとのことをいうって説明してる。すごく意訳すれば、「おもいがけず あなたがきてくれて、たすかった。あなたは機械じかけの神だ」って感じかな。

ただし古典にもいい意味じゃなくてつかってる例はある。アリストテレースは『形而上学』(985a18-21)で、アナクサゴラースのヌース(知性、理性)について、説明にこまったばあいにヌースを「機械じかけの神」としてつかってるだけだっていってる。原文だと「機械じかけの神」はただ μηχανῇ [mɛːkʰanɛ̂ːi メーカネーイ]だけだから、きまり文句そのものをつかってるわけじゃないけど、とにかくいい意味で「機械じかけの神」をもちだしてるんじゃない。それから、おんなじアリストテレースの『詩学』(1454b)でも「機械じかけの神」のことがでてくるけど、このやりかたはふさわしいばあいだけにつかうべきだっていってて、全体として「機械じかけの神」には否定的な感じがする。

ところで、ラテン語の machina はギリシャ語からはいったことばだ。でも、いままで でてきた μηχανή [mɛːkʰanɛ̌ː メーカネー](μηχανῆς はこれの単数属格)とはけっこうちがう。machina のもとになったのは西ギリシャ方言のひとつ、ドーリス方言の μαχανά [maːkʰanǎː マーカナー]で、アッティカ方言の μηχανή じゃなかった。南イタリアにはギリシャ人の植民都市があって、そこからこのことばがはいったんだけど、これはローマ人がのちにギリシャ語をたくさんとりいれるようになるよりもまえのことだ。古典時代以降だったらアッティカ方言がはいってただろう。そのふるさは発音の変化にもあらわれてる。マーカナーがマーキナになったわけだから、ちがってるのは -chi- と -na だ。-na はラテン語の語尾になっただけだからいいとして、-cha- が -chi- にかわってるのはアクセントと関係がある。古典時代とちがって、もっとふるい時代のラテン語は単語の最初につよいアクセントがあって、そのために、とくにアクセントのあとの音節の母音がよわくなった。-cha- が -chi- になったのはそのせいだ。こういうふうに発音がかわってるってことからも、machina がふるい時代にラテン語にはいったってことがわかる。

機械じかけ:機械仕掛け。 プラトーン:プラトン。 クレイトポーン:クレイトポン。 デーモステネース:デモステネス。 アリストテレース:アリストテレス。 アナクサゴラース:アナクサゴラス。

2012.03.03 kakikomi

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