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漢字のかき順とその悪影響

外国語 の 文字 を ならう とき、 ニホン人 は 必要 以上 に かき順 を 気 に する よう に おもう。 だいたい 文字 に きまった かき順 が ある と は かぎらない し、 いくつ か かき順 が ある ばあい も ある。

カリグラフィー の 本 を みて も かき順 は いろいろ ある。 そもそも かき順 って もの は うつくしい 文字 を かく ため の 手段 で、 ひと に よって ちがう かき順 の ほう が かき やすくて きれい に かける なんて こと も ある。 な の に それ を 無視 して ひとつ だけ の かき順 に しちゃったら、 うつくしい 文字 って いう 目的 は そっちのけ で、 かき順 の ほう が 目的 に なっちゃう。 かき順 は あく まで 手段 で あって、 目的 じゃ ない。

ニホン人 が 必要 以上 に 外国語 の 文字 に ついて も かき順 を 気 に する の は、 学校 の 漢字 教育 の 悪影響 だろう。 漢字 に したって、 かき順 (筆順) は きれい に かたち が とれたり、 かき やすかったり する ため の 手段 な の に、 かき順 を おぼえる こと が 目的 みたい に なっちゃってる。 だいたい 漢字 の かき順 だって ひとつ と は かぎらない。 それ に、 こども に おしえる ばあい に は 混乱 しない よう に かき順 を ひとつ だけ おしえる って いう の は いい と して も、 おとな に なって まで そんな もの に しばられてる なんて ばかばかしい。

そう は いって も、 ネット で しらべる ひと も いる だろう と おもって、 参考 まで に この サイト に は、 フラクトゥーア (フラクトゥール、 ドイツ文字、 ドイツ書体) と デーバナーガリー 文字 と ヘブライ 文字 の かき順 に ついて の ページ を つくって みた。 でも かき順 が ひとつ に きまってる と は かぎらない って こと は 説明 して ある。

ギリシャ語 の 入門書 を みる と、 古典語 で も 現代語 で も、 ギリシャ 文字 の かき順 は 本 に よって ちがってる。 けっきょく 「筆順は,随意に,正確で美しく書ける,また自分で書きやすい順に筆記してよいであろう」 (田中利光『新ギリシャ語入門』大修館書店) って こと に なる と おもう し、 ギリシャ 文字 は フラクトゥーア と か デーバナーガリー 文字 より も 複雑 な 文字 じゃ ない と おもう から、 この サイト で は あえて ギリシャ 文字 の かき順 に ついて は 説明 して ない。

で、 『日本のルールは間違いだらけ』 (たくき よしみつ 著、 講談社現代新書) って いう 本 に 漢字 の かき順 に ついて なん か にた よう な こと が かいて あった から、 その 部分 を 引用 して おく こと に する。

 2008年くらいから、テレビのバラエティ番組を中心に「おバカブーム」なる現象が起きた。有名人のおバカぶりを見て楽しむというもので、タレントが漢字の筆順(書き順)をテストされるシーンなどがよく映し出されていた。
ええ~? うっそぉ! ずっとこう書いていたよ、オレぇ」……などというおバカリアクションが繰り返し放送されるわけだが、ちょっと待て、と言いたい。
 筆順を間違えることは本当に愚かなことなのだろうか。
 筆順というものこそがおバカである、と私は断固主張したい。
 筆順をテストされたタレントたちにも、自信を持って反逆してほしいのである。
筆順を覚えることそのものが、おバカである!」と。
 そもそも漢字の「正しい筆順」にはどのような根拠があるのか。
 1958(昭和33)年、文部省(現・文部科学省)が『筆順指導の手びき』なるものを発表した。この「手引き」にはこう明記されている。
本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来さないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」
 つまり、文部省としても、当初から「筆順は一つではない」と言っているのだ。
 ところが、この「手引き」が一人歩きして、ルール好きな人たちによって、無理矢理教育現場に持ち込まれ、絶対化してしまった。
 本書の「はじめに」であげた「愚ルール五法則」にてらすと、「筆順」は①の「そもそもそんなルールは必要がない」に相当する。
 日本語の文字には「筆順」というものがある、と教えることは結構だ。
 かつて毛筆文化の中で「こう書けば書きやすいし、崩して書いても判別しやすい」という観点から発達したのが筆順というものである、と教えればよいだろう。
 しかし、教えるべきはこれだけで、筆順を覚えさせる必要はまったくない。
 楷書と行書では書き方が違って当然だし、縦書きと横書きでも、書きやすい筆順は違う。さらには、右利き、左利きでも違ってくることだろう。
正しい筆順」で書かれたへたくそな字と、どんな筆順で書かれようとも美しく読みやすい字とではどちらが価値があるか。議論するまでもない。
 そもそも、漢字が誕生した中国で一般的とされている筆順と、1958年に文部省が作った『筆順指導の手びき』にある筆順が違っている例がいくつもある。
 例えば、「田」という漢字。『筆順指導の手びき』では、中の「十」を、縦、横の順に書くことになっている。しかし、中国をはじめ、韓国や台湾でも、この「十」は横、縦の順番で書くのが普通とされている。
 ……どっちでもいい。そう、どう考えても、何度考えても、どっちでもいいことだ。
 覚えなければならないことが山ほどある小学生に、漢字一つ一つについて筆順を覚えさせるのは意味がない。いや、「やっていはいけない」ことだ。ましてや、筆順をテストするなどというのは言語道断である。
 無意味なことを覚えさせられ、貴重な時間を奪われる。挙げ句にテストまでされ、点数をつけられ、それを「学力」として評価される子供たち。
 しかしまあ、我々大人が「ああ、可哀想な子供たちよ」と思うのも、またおめでたいことかもしれない。当の子供たちは、大人のアホさ加減をおちょくるように、ケータイで絵文字を操り、あるいは、「さようなら」を「±よ宀ナょら」と、わざと読みにくい絵文字のように変換して使うなどということに興じているのだから。

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 ・ドイツ文字(フラクトゥーア)のかきかた
 ・デーバナーガリー文字のかきかた
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2014.06.08 kakikomi

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