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同訓異義語

クイズ 番組 に は 漢字 問題 が よく でる けど、 クイズ だけ あって へん に むずかしい 漢字 を かかせたり、 むずかしい よみ を こたえさせる もの が ある。 でも まあ それ は クイズ だ から そんな もん だろう。 そう いう の より くだらない って おもう の は 「同訓 異義語」 の 問題 だ 。

最近 テレビ に でまくってる 予備校 の 国語 講師 が いる けど、 その ひと が 出題 する よう に なった 漢字 クイズ が あって、 ふだん の しごと で よく め に する まちがい を もと に 出題 したり してる。 漢字 その もの が かきまちがえ やすい よう な の を 問題 に する って いう の は、 じっさい そう いう 漢字 な ん だ から しょう が ない けど、 「同音 異義語」 と 「同訓 異義語」 の 問題 は なん か 感心 しない。

「同音 異義語」 の 問題 は たとえば 「修正」 と 「修整」 の かきわけ みたい な 感じ で、 シュウセイ には ほか に も 「習性」 と か 「集成」 と か が ある けど、 とく に 「修正」 と 「修整」 の かきわけ なんて、 意味 が にてて まぎらわしい し、 なんて いう か 悪質 な かきわけ だ。

「同音 異義語」 は ニホン語 が かかえる ほんと に ひどい 病気 だ と おもう。 でも これ は じっさい に そう いう ことば が つかわれてる わけ で、 いいかえられる ばあい が ある に して も、 すぐ に どう に か できる って もん じゃ ない もの も おおい。

それ に くらべて 「同訓 異義語」 (この 用語 は 正確 じゃ ない って はなし も ある か も しれない けど、 その クイズ 番組 で この 用語 を つかってた から、 とりあえず こう して おく) の ほう は ことば その もの じゃ なくて 表記 の 問題 だ から、 どう に で も なる。

「同訓 異義語」 の 問題 は たとえば 「上げる」 と 「挙げる」 を かきわける もの だ けど、 「あげる」 は ニホン語 と して は おんなじ ひとつ の 単語 な の に、 それ を 漢字 の 意味 の ちがい って いう 外国語 の 意味 の 区別 を つかって いちいち かきわける なんて ほんと に ばかばかしい。 こう いう アホ な 習慣 を 問題 と して 出題 して、 それ も ほんと に うれしそう に 「同訓 異義語」 と 「同音 異義語」 の 問題 に ついて しゃべってたり する ん だ けど、 まあ 職業病 と で も いえば いい の か な。

たしか に この て の 問題 は 試験 問題 と して よく でる だろう から 国語 講師 と して は 生徒 に おしえる 必要 が ある。 でも おとな あいて に クイズ 問題 に する の を みてる と、 国語 講師 だけ あって ニホン語 の 病気 や 悪習 を めし の たね に してる ん だ なあ、 なんて おもう。

そう いえば、 「同訓 異義語」 に ついて は 『漢字と日本人』 (高島 俊男 著、 文春 新書) って いう 本 に こんな こと が かいて あった。

 和語に漢字をあてるおろかさ
 よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。―― 「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。
 わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世のなかには、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな人たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連中こそ、憎むべき、有害な人間である。こういう連中は、たとえばわたしのような知識のある者に対しては、そういうことを言わない。「滋養分をとる」はダメ、「摂る」と書きなさい、などとアホなことを言ってくるやつはいない。ほんとに自分の言っていることに自信があるのなら知識のある者に対してでも言えばよさそうなものだが、言わない。もっぱら自分より知識のない、智慧のあさい者をつかまえておどす。
 「とる」というのは日本語(和語)である。その意味は一つである。日本人が日本語で話をする際に「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」と書けばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである。「はかる」もおなじ。その他の語ももちろんおなじ。
 もし英米人が英語の文章を書く際に、たとえば take というやさしいことばの書きように頭を悩ませ、I take umbrella. の take は漢語の「帯」に相当するからとて I take 帯 umbrella. と書き、I take salary. の take は漢語の「領」に相当するから I take 領 salary. と書き、I take medicine. の take は漢語の「服」に相当するから I take 服 medicine. と書き、take photograph の take は……といちいちそのばあいに相当する漢語をくっつけて書いていたとしたら、あなたはきっと、こいつアホじゃなかろうか、と思うであろう。英語の take は take であって、それがそのばあい漢語の何という語に相当しようと頓着することはちっともないにきまっている。日本語のばあいだっておなじである。純粋の日本語を書く時まで、ここは中国人だったら何という動詞をあてるだろう、と頭を悩ます必要などさらさらないのである。

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2014.12.07 kakikomi

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